丈六村(読み)じようろくむら

日本歴史地名大系 「丈六村」の解説

丈六村
じようろくむら

[現在地名]名張赤目あかめ町丈六・赤目あかめ新川しんかわ

長屋ながや村の西に続く、初瀬はせ街道沿いの街村で、矢川やがわから村中を通って名張へ通じる道は、古くから大和と伊勢を結ぶ幹線道路であった。村の西側をたき川が流れる。初め長屋の一部であったが、丈六の釈迦仏を安置した寺が建てられ、丈六寺と称したことより村名に発展したと考えられる。その時期はつまびらかでないが、正治二年(一二〇〇)閏二月一九日の僧弁俊出挙米質券(内閣文庫蔵伊賀国古文書)に「丈六石神前の田水口壱段」とあり、それ以前であることは確かである。


丈六村
じようろくむら

[現在地名]堺市丈六・大美野おおみの

高松たかまつ村の東、原寺はらでら村の南に位置する。村名は天平年間(七二九―七四九)行基が創建したと伝える丈六寺(釈迦院)があることに由来する。河内国丹南郡に属する。古くは余戸あまりべ郷内にあったとする説がある。ちなみに当村の北東北余部きたあまべ村・南余部村(現南河内郡美原町)がある。弘長三年(一二六三)三月一八日の太政官符(春日大社文書)狭山さやま(現南河内郡狭山町)の北隣地として「丈六池」がみえる。慶長一七年(一六一二)水割符帳(田中篤家文書)に村名がみえ、狭山(現狭山町)大樋筋から取水していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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