三亀谷村(読み)みかがやむら

日本歴史地名大系 「三亀谷村」の解説

三亀谷村
みかがやむら

[現在地名]榛原町坂部(さかべ)

中里(なかざと)村の西に位置し、高尾(たかお)川の中流右岸に立地する。西から南にかけては高根(たかね)山の丘陵へ続き、西境には地蔵(じぞう)峠がある。文禄二年(一五九三)の三亀谷村検地帳(斉藤家文書)では高一八〇石余。文禄二年検地高目録にみえる「見の谷村」は当村とみられる。正保郷帳には三ヶ亀谷村と記され、田方一八七石余・畑方一六石余、旗本太田領、ほかに阿弥陀寺領四斗・山王(現山王神社)領六斗がある。村高は幕末まで変わらない。国立史料館本元禄郷帳・享保郷村高帳・旧高旧領取調帳でも旗本太田領。「遠淡海地志」では家数三〇余。当村には長百姓として市郎右衛門・仁左衛門・三左衛門・四郎次・五郎右衛門・六郎右衛門の六家がある(弘化三年「長百姓書付」前田家文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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