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三井高保 みつい たかやす

美術人名辞典の解説

三井高保

三井銀行社長・男爵。父は高福。はじめ京都府勧業課に勤務、のち京都博覧会社頭取・京都博覧協会会長・三井銀行総長を経て三井銀行社長となる。大正11年(1922)歿、73才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三井高保 みつい-たかやす

1850-1922 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)3年5月26日生まれ。三井高福(たかよし)の5男。三井室町家10代。明治24年三井銀行総長となり,副長に中上川(なかみがわ)彦次郎を登用して経営改善にあたる。のち同社長として大正9年まで在任。表千家流の茶人。大正11年1月4日死去。73歳。号は華精。

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朝日日本歴史人物事典の解説

三井高保

没年:大正11.1.4(1922)
生年:嘉永3.5.26(1850.7.5)
明治大正期の実業家。三井高福の5男。母は津尾。慶応4(1868)年2月に三井室町家の養子となって家督を相続した。三井銀行設立時には発起人に名を連ねたが,明治13(1890)年に京都博覧会社副頭取,22年に頭取となって京都で勧業に力を尽くした。同20年には益田孝と共に銀行業務視察のために欧米各国を巡遊し,24年には三井銀行総長に就いた。中上川彦次郎を副長に登用して,全権を委ねて銀行の経営改革に当たらせた。その後同社長となって大正9(1920)年までその職にあるとともに,明治42年に三井合名会社が設立されるとその業務執行社員となった。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』本編2巻

(賀川隆行)

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世界大百科事典 第2版の解説

みついたかやす【三井高保】

1850‐1922(嘉永3‐大正11)
明治・大正期の三井財閥を率いた三井家同族首脳者の一人。三井北家高福の五男として京都に生まれ,幼名を宸之助という。幕末期三井京本店にて営業見習修業,明治維新後東京呉服店に移った。1868年(明治1)三井室町家の養子に入り家督を相続し,84年高保と改名,87年には三井物産社長益田孝渡欧に同行し,財閥へ脱皮を図る三井組の家政・事業組織の改革案をイギリス等で調べ帰国した。明治中期以降三井の財閥化・事業拡大過程において総帥三井高棟(実弟)を支える三井11家の指導格の地位にあり,91年8月みずから三井銀行総長(社長)に就任,1920年(大正9)1月の辞任まで,中上川彦次郎早川千吉郎池田成彬・米山梅吉らの三井銀行経営トップを指揮した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三井高保
みついたかやす

[生]嘉永3(1850)
[没]1922
実業家。三井総領家8代目八郎右衛門高福の4男。室町家三井高良の養子となり同家 10代目当主となる。 1891年三井高喜に代って三井銀行総長に就任,中上川彦次郎を登用し銀行の体質改善を遂行した。以来 1920年までの 30年間三井銀行の総帥としてその発展に努めた。

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