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中上川彦次郎 なかみがわひこじろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中上川彦次郎
なかみがわひこじろう

[生]嘉永7 (1854).8.13. 豊前,中津
[没]1901.10.7. 東京
明治期の実業家。福沢諭吉の甥。慶應義塾に学び,1874年からイギリスに留学。合理主義的経営思想を身につけ,帰国後の 1878年井上馨の推輓により工部省に入省。1891年井上の依頼を受け,経営が悪化していた三井銀行の理事に就任。

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デジタル大辞泉の解説

なかみがわ‐ひこじろう〔なかみがはひこジラウ〕【中上川彦次郎】

[1854~1901]実業家。大分の生まれ。福沢諭吉の甥。諭吉に学び、英国へ留学。三井財閥の確立に貢献した。

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百科事典マイペディアの解説

中上川彦次郎【なかみがわひこじろう】

明治の実業家。豊前(ぶぜん)中津藩(大分県中津市)出身。福沢諭吉の甥。慶応義塾を卒業して英国に留学,井上馨に知られて工部省・外務省に出仕した。1882年《時事新報》創刊にともなって同社社長に就任。
→関連項目朝吹英二池田成彬藤原銀次郎益田孝武藤山治

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中上川彦次郎 なかみがわ-ひこじろう

1854-1901 明治時代の実業家。
嘉永(かえい)7年8月13日生まれ。福沢諭吉の甥(おい)。イギリス留学後,井上馨(かおる)に推され工部省にはいる。のち時事新報,山陽鉄道の社長を歴任。明治24年三井銀行の理事にまねかれ,その再建にあたり,三井鉱山三井物産の理事,鐘淵(かねがふち)紡績会長などもつとめた。明治34年10月7日死去。48歳。豊前(ぶぜん)中津(大分県)出身。慶応義塾卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中上川彦次郎

没年:明治34.10.7(1901)
生年:安政1.8.13(1854.10.4)
明治時代の実業家。三井財閥の代表的経営者。三井財閥を政商路線から転換させ,商工立国を志向する近代経営に再編した。豊後国(大分県)中津藩士中上川才蔵と婉の長男。婉は中津藩士福沢百助 の次女で福沢諭吉の姉。少年時中津で漢学を修めるが,叔父諭吉の下で洋学を学ぶことを志し,明治2(1869)年,16歳で藩の許可を得て東京に出,慶応義塾に入学した。福沢の家に居住しながら約2年半慶応義塾に学んだのち,福沢の指示により郷里中津に赴き,市学校の設立と教育に当たった。その後も神山県(愛媛県)の要請により慶応義塾から派遣され,大洲と宇和島の洋学校の設立運営を指導し,英語の授業も担当したが,主たる職務は慶応義塾教師であった。7年から10年まで,ほぼ3年間イギリスに滞在,西欧の制度,事情の独学,見聞に努めた。費用はすべて福沢が工面した。 ロンドンにおいて,訪英中の元老院議官井上馨 の知遇を得たことが運命の岐路となった。帰国後,福沢が発行する日刊新聞『民間雑誌』の編集に当たるが,政府側の圧迫により廃刊の憂き目にあった。その直後,参議兼工部卿に就任した井上の要望により工部省に出仕し,井上が外務卿に転じると,外務省に勤務,公信局長に登用された。しかし,官僚生活は11年からの約3年で終わる。いわゆる「明治14年の政変」により,大隈重信および福沢の関係者の大部分が免官処分を受けたからである。退官後,15年福沢と共に『時事新報』を創刊し,自ら慶応義塾出版社(時事新報社)の社長に就任,編集長を兼ねた。20年の山陽鉄道会社創立と同時に創立委員総代に選ばれ,翌年社長に就任した。ところが再び井上の要請により,24年三井銀行理事として三井財閥に招かれた。当時,三井銀行は伝統的政商路線の悪しき遺産たる不良債権による経営難のさなかにあり,政府筋から立て直しを頼まれた井上が白羽の矢を立てたのである。三井入りについては福沢も大いに勧め,激励した。 三井銀行理事,さらに副長(のち専務理事)としての業績は絶大であった。官金取扱を辞退,政商的結託関係を切り捨てることで不良債権を一掃,三井銀行の経営立て直しに成功した。三井傘下に鐘紡,芝浦製作所など工業会社を育成し,福沢譲りの商工立国の経営思想を実践した。さらに藤山雷太,武藤山治,和田豊治,池田成彬,日比翁助,平賀敏,藤原銀次郎ら慶応卒の数多くの人材を高給を条件に中途採用し,能力を発揮させた。こうして三井財閥の近代化の経営基盤を確立したが,その理知的で果断な行動には反発も強く,銀行の資力を注いで育てた工業経営の不振もあって,三井家同族,井上馨,三井物産の益田孝らの攻撃を受け,逆境下に47歳の若さで病没した。参議院議員となった藤原あきは実子。<参考文献>日本経営史研究所編『中上川彦次郎伝記資料』

(森川英正)

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世界大百科事典 第2版の解説

なかみがわひこじろう【中上川彦次郎】

1854‐1901(安政1‐明治34)
明治の実業家。豊前国中津(現,大分県中津市)で中津藩士中上川家に生まれる。母えんは福沢諭吉の姉。1869年(明治2)大阪を経て上京,叔父諭吉の経営する慶応義塾に学ぶ。卒業後宇和島洋学校を振出しに母校の教師を務め,74年同門の小泉信吉とともにイギリスへ4年間留学。帰国後の78年井上馨の引きで工部省へ出仕,翌年外務省公信局長に抜擢されるが,明治14年の政変(1881)により大隈・福沢関係者として免官。82年3月福沢の《時事新報》創刊と同時に同社長に就任,みずからも執筆しながら経営・編集を陣頭指揮,同紙を一躍代表的日刊紙に育て上げた。

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大辞林 第三版の解説

なかみがわひこじろう【中上川彦次郎】

1854~1901) 実業家。大分県生まれ。福沢諭吉の甥で、その門下。「時事新報」主筆、三陽鉄道社長を経て三井に入り、三井財閥の基礎をつくった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中上川彦次郎
なかみがわひこじろう
(1854―1901)

明治時代の実業家。豊後(ぶんご)(大分県)中津藩士の家に生まれる。福沢諭吉の甥(おい)。慶応義塾を卒業し教員となる。1874年(明治7)から4年間イギリスに留学し、そこで井上馨(いのうえかおる)を知る。帰国後、井上の斡旋(あっせん)で工部省に出仕し、のち外務省公信局長となる。明治十四年の政変で野に下り、『時事新報』の社長兼編集長となった。1887年荘田平五郎(しょうだへいごろう)の勧めにより山陽鉄道の社長となり、積極的な経営を行った。1881年8月大改革の必要に迫られていた三井銀行に理事として迎えられ、まもなく副長となって、三井銀行および三井家諸事業の改革に着手した。彼は事業の発展のためには、人材の登用が必要だと考え、慶応義塾出身の30歳前後の青年を採用し、重要な任務を与えた。藤山雷太(ふじやまらいた)、和田豊治(わだとよじ)、武藤山治(むとうさんじ)、村上定、朝吹英二(あさぶきえいじ)、日比翁助(ひびおうすけ)、池田成彬(いけだせいひん)らであった。中上川は焦げ付いた貸付金の回収に成功し、職制を改革し、1893年商法施行に際し、諸事業を四つの合名会社(銀行、鉱山、物産、呉服)に改組した。一方、入手した諸工場を組織して工業部を創設したが、日清(にっしん)戦後の不況のため不振であった。晩年井上と対立し、三井内部でも孤立し、苦境のなかで病死したが、彼の三井改革の功績は大きい。[安岡重明]
『安岡重明編著『日本財閥経営史 三井財閥』(1982・日本経済新聞社) ▽白柳秀湖著『中上川彦次郎伝』(1940・岩波書店) ▽安岡重明他著『日本の企業家1 明治篇』(1973・有斐閣) ▽三井文庫編・刊『三井事業史』本篇第1巻・第2巻・第3巻上(1980)』

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世界大百科事典内の中上川彦次郎の言及

【時事新報】より

…1882年3月慶応義塾出版社(本社東京)から創刊された日刊紙。福沢諭吉の指導の下,中上川(なかみがわ)彦次郎を社主とし,福沢の門下生を主要スタッフとして創刊された。当初福沢は大隈重信,伊藤博文,井上馨らの勧めをうけて,政府系新聞を発行しようとしていたが,明治14年の政変の結果独自の新聞を発行するにいたったといわれる。…

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