三和村・三和町
みわむら・みわちよう
昭和三〇年(一九五五)より同三四年まで存続した村。昭和三〇年一月寿都郡黒松内村、同郡樽岸村のうち字中ノ川・添別・目名・月越と、同字丸山・五十嵐の各一部、歌棄郡熱郛村が合併して三和村となる。これらの地域は、立地条件が類似し、後志興農会社の経営する農場があるほか、馬市・農会・後志南部酪農組合などを通じた結び付きがあった。この合併で戸数一千三四〇・人口七千四三八、うち農家六八八戸・二千五三六人、営農面積一九九五ヘクタール、おもな物産は大豆・小豆・馬鈴薯・燕麦・稗・蕎麦など、馬九七三(飼養農家五四二)・牛一千一〇三(搾乳・飼育農家三八一)、林産物は用材や束薪など、鮭・鱒のほか朱太川鮎を特産とした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 