20世紀日本人名事典 「三室戸敬光」の解説 三室戸 敬光ミムロド ユキミツ 大正・昭和期の子爵 貴院議員;宮中顧問官;東京高等音楽院院長。 生年明治6年5月18日(1873年) 没年昭和31(1956)年10月31日 出生地京都府 学歴〔年〕明治法律学校(現・明治大学)卒 経歴藤原北家日野流の家柄に生まれる。宮内省に入り、書記官、皇宮主事、御歌所主事、主猟官などを歴任、宮中顧問官となった。東京高等音楽院長を兼任。大正11年襲爵、14年貴院議員となり、研究会に属した。昭和10年の天皇機関説問題では美濃部批判の強硬派の立場をとった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「三室戸敬光」の解説 三室戸 敬光ミムロド ユキミツ 肩書貴院議員,宮中顧問官,東京高等音楽院院長 生年月日明治5年 出生地京都 学歴明治法律学校(現・明治大学)卒 経歴藤原北家日野流の家柄に生まれる。宮内省に入り、書記官、皇宮主事、御歌所主事、主猟官などを歴任、宮中顧問官となった。東京高等音楽院長を兼任。大正11年襲爵、14年貴院議員となり、研究会に属した。昭和10年の天皇機関説問題では美濃部批判の強硬派の立場をとった。 没年月日昭和31年 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三室戸敬光」の解説 三室戸敬光 みむろど-ゆきみつ 1873-1956 大正-昭和時代前期の華族。明治6年5月18日生まれ。藤原氏日野流,柳原分家。子爵。大正14年から昭和14年まで貴族院議員。宮中顧問官。昭和9年貴族院本会議で菊池武夫らと商工相中島久万吉の足利尊氏論(雑誌「現代」所収)を逆賊賛美と攻撃,中島を辞任においこんだ。昭和31年10月31日死去。83歳。京都出身。明治法律学校(現明大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by