五戸通
ごのへどおり
盛岡藩の地方行政組織三三通の一つ。北は七戸通、南は三戸通ならびに八戸藩領名久井通・長苗代通に接する。現在の新郷村・倉石村・五戸町、上北郡十和田湖町・六戸町・下田町・百石町、三沢市の全域ならびに八戸市のごく一部と十和田市の南半分にあたる。設置年代は不明であるが、天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に五戸通とある。治所の五戸代官所は五戸村(現五戸町)に置かれ、代官二名が任命された。代官所の設置年代や代官の任命時期も不明であるが、慶安御支配帳(岩手県史)に五戸代官・浅水代官名がみえる。
享和三年(一八〇三)の仮名付帳でみると管内の村は三戸郡一八ヵ村、北郡一九ヵ村の合計三七ヵ村である。三戸郡は手倉橋・浅水・扇田・野沢・豊間内・志戸岸・五戸・兎内・大森・切谷内・上市川(現五戸町)、又重・中市・石沢(現倉石村)、西越・戸来(現新郷村)、七崎・下市川(現八戸市)の各村。北郡は奥瀬・沢田(現十和田湖町)、小平・柳町・鶴喰・上吉田・下吉田・折茂・犬落瀬(現六戸町)、下田(現下田町)、百石(現百石町・三沢市)、切田・大不動・滝沢・米田・藤島・伝法寺・相坂(現十和田市)、天ヶ森(現三沢市)の各村。家数は合計二千七九五である。
天和二年の惣御代官所中高村付では三七ヵ村のうち三戸郡の野沢・戸来、北郡の奥瀬・柳町・下田・切田・滝沢・天ヶ森の諸村がみえず、上下の吉田村は吉田村一村となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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