三才山村(読み)みさやまむら

日本歴史地名大系 「三才山村」の解説

三才山村
みさやまむら

[現在地名]松本市三才山

浅間あさま村の北、浅間峠を下りた山間の村で、女鳥羽めとば川の上流が東から西に流れる。中世山城があり稲倉ひなぐら城に属していた。村の東に三才山峠があり、小県ちいさがた郡の丸子まるこ鹿教湯かけゆに通じている。

天正検地の際は三斎山村二四八石三斗二升と高付けされているが、慶長一九年(一六一四)稲倉村に合し、寛永三年(一六二六)分離。寛永一九年の信州松本御領分村々高附帳には二三四石九斗六升三合とある。「信府統記」には「御朱印高二百四拾八石三斗二升」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は二九二石六斗六升三合である。寛文年間(一六六一―七三)水田は九町七畝二四歩、畑地は一〇町五段八畝二四歩である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む