三晋(読み)サンシン(英語表記)San-jin; San-chin

デジタル大辞泉 「三晋」の意味・読み・例文・類語

さん‐しん【三晋】

中国春秋時代の末、晋の三卿、すなわち魏斯ぎし文侯)・趙籍ちょうせき(烈侯)・韓虔かんけん(景侯)がそれぞれ建てた魏・趙・韓の三国

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普及版 字通 「三晋」の読み・字形・画数・意味

【三晋】さんしん

晋が趙・韓・魏三国に分割、以後戦国という。〔戦国策、趙一〕三晉、知氏をつにび、趙襄子、最も知伯を怨む。其の頭に漆(うるし)して、以て飮(おそらく溲器)と爲す。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三晋」の意味・わかりやすい解説

三晋
さんしん
San-jin; San-chin

中国,戦国の七雄 (しちゆう) 中の韓,魏,趙の3国をいう。晋の哀公5 (前 453) 年,晋の大夫であった韓,魏,趙3家が執政荀瑤 (知伯) を滅ぼして自立し,烈侯 17 (前 403) 年諸侯として承認されたので,以後この3国を三晋と呼ぶ。

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世界大百科事典(旧版)内の三晋の言及

【山西[省]】より


[歴史]
 本省の南部,汾河の下流域は旧石器時代にさかのぼり,中国最古の文化が発達したところのひとつであり,夏王朝の都は安邑(あんゆう)(現,夏県)にあったと伝えられる。周の初めにこの地方から起こった晋は全省を平定し,春秋時代には全盛期を迎えたが,戦国時代になると韓・魏・趙の3国(三晋という)に分かれた。秦が天下を統一したとき,南西部を河東郡,南東部を上党郡,中央部を太原郡とし,漢代ではそのほかに北辺部に西から雲中,定襄,雁門,代の4郡を設けた。…

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