古代中国の遊説家の弁論集。原作者は不明。前漢の劉向(りゆうきよう)が宮中の蔵書を整理したおり,〈国策〉〈国事〉〈短長〉などの名称で呼ばれていた諸書を校定し,合わせて1書33編とし,《戦国策》と名づけたという。周の安王から秦の始皇帝の中国統一までの約250年におよぶ,戦国時代の弁士の言説など480条を,12国別に収録している。とくに秦,斉,楚,趙,韓,魏に関するものが多く,蘇秦,張儀,范雎(はんしよ),商鞅(しようおう),甘茂ら多くの政客弁士が活躍し,政治,経済,軍事,外交などあらゆる分野にわたって権謀術数をふるい,功名を競うさまが描かれ,当時の国際関係,世相や人心,弁論術の発達などを知ることができる。しかし記述は必ずしも実録ではなく,歴史事実や年代などに矛盾するところも多い。その文章は対偶,譬喩(ひゆ),三句対などの修辞を用い,物語性に富み,力強く英偉の気にあふれ,後世の古文家の模範とされた。テキストには後漢の高誘注の33巻本と,宋の鮑彪(ほうひよう)校注の10巻本との2系統がある。
執筆者:日原 利国
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中国、前漢末に劉向(りゅうきょう)が編纂(へんさん)した書。劉向が天子の書庫の蔵書を整理したとき、「国策」「国事」「短長」「修書」などと題する竹簡の残余があり、みな戦国のときの遊説(ゆうぜい)の士が、国々の政治への参与を企てその国のためにたてた策謀であったので、劉向は国別にしたものに基づいて、ほぼ年代順に整え、重複を削り、一書33篇(へん)とし『戦国策』と名づけた。後漢(ごかん)の高誘(こうゆう)が注したが、北宋(ほくそう)の初めには多く散逸していたのを曽鞏(そうきょう)がほぼ復原し、南宋(なんそう)の姚宏(ようこう)が刻した(1146)。別に鮑彪(ほうひゅう)は個々の物語の年次を考えて篇章を移し替え、かつ自ら注した本を刻した(1147)。姚本は全33巻、鮑本は全10巻。鮑本には元の呉(ご)師道の校注がある(1365刊)。多く蘇秦(そしん)・張儀(ちょうぎ)らに託して記される権謀術策は、奇知縦横の言論の習錬を意図するようで、史実には関心薄く、小説的でさえある。その文章は『史記』とともに古文家の範とされる。1973~74年長沙馬王堆(ちょうさまおうたい)3号墓から出土した帛書(はくしょ)(うす絹に書かれた文字)のなかに劉向編定以前の「戦国策原本」がみられる。
[近藤光男]
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戦国時代の遊説の士,縦横家(じゅうおうか)の策謀の言辞を諸国別に収録したもの。通行本33巻。作者不明。前漢末の劉向(りゅうきょう)が諸書より編集。『春秋』以後の史実を知る文献史料として重要である。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…この時期に(《荘子》のごとく架空の人物の対話を作るのではなく)実在の人物の言論を想像によって再現する方法を教えた学派(縦横家など)があった。その作文を集めたのが《戦国策》である。その方法を歴史家たちも取り入れたと思われる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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