三木行治(読み)ミキ ユキハル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「三木行治」の解説

三木 行治
ミキ ユキハル


肩書
岡山県知事

生年月日
明治36年5月1日

出生地
岡山県岡山市

学歴
岡山医科大学〔昭和4年〕卒 九州帝大法文学部〔昭和9年〕卒

経歴
医師、保険院衛生行政官を経て、厚生省に入り、昭和21年公衆保健局長、23年公衆衛生局長を歴任。26年岡山県知事選に革新系から出て当選。以後4期13年間の在任中は県内のがん実態調査、アイバンク設立、精神障害児施設の開設など、医療、福祉その他の施策を国に先がけて実施。また28年からは「農業県から農工県への脱皮」をと“緑と太陽と空間”をキャッチフレーズに積極的に企業・工場誘致を図り、水島コンビナートの実現に奔走した。だが業なかばで急逝する。

没年月日
昭和39年9月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「三木行治」の解説

三木 行治
ミキ ユキハル

昭和期の政治家,医師 岡山県知事。



生年
明治36(1903)年5月1日

没年
昭和39(1964)年9月21日

出生地
岡山県岡山市

学歴〔年〕
岡山医科大学〔昭和4年〕卒,九州帝大法文学部〔昭和9年〕卒

経歴
医師、保険院衛生行政官を経て、厚生省に入り、昭和21年公衆保健局長、23年公衆衛生局長を歴任。26年岡山県知事選に革新系から出て当選。以後4期13年間の在任中は県内のがん実態調査、アイバンクの設立、精神障害児施設の開設など、医療、福祉その他の施策を国に先がけて実施。また28年からは「農業県から農工県への脱皮」をと“緑と太陽と空間”をキャッチフレーズに積極的に企業・工場誘致を図り、水島コンビナートの実現に奔走した。だが業なかばで急逝する。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三木行治」の解説

三木行治 みき-ゆきはる

1903-1964 昭和時代官僚,政治家。
明治36年5月1日生まれ。厚生省公衆衛生局長をへて,昭和26年革新系から岡山県知事に当選(4期)。水島臨海工業地帯に企業を誘致し,工業立県化を推進した。医療行政,福祉政策もすすめ,マグサイサイ賞を受賞。昭和39年9月21日死去。61歳。岡山県出身。九州帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三木行治」の解説

三木 行治 (みき ゆきはる)

生年月日:1903年5月1日
昭和時代の官僚;政治家。岡山県知事
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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