三本杉村
さんぼんすぎむら
[現在地名]東伯町三本杉
加勢蛇川上流右岸に位置し、同川を挟んで北東は別所村。北東部に支村の下見村があり、幕末の六郡郷村生高竈付などには一村として記載されている。拝領高は一〇七石余。同生高竈付によれば生高一八五石余、竈数四九。元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数四九、うち余業一九(炭焼四・日雇三など)。元文二年(一七三七)野井倉村領分一向山・真谷山両所において、当村と野井倉村との間で草山相論が起きており、吟味の結果当村より両所に入ることを差止める裁許が下された。万延二年(一八六一)鳥取大雲院末船上山境内にあたる当村地籍の山川谷より、鉛様の物が発見されたので、大雲院より銅山職人による試掘の願いが出され、併せて川筋の当村・野井倉・中津原・下見・別所の五ヵ村より支障なき旨の請書が差出された(以上「在方諸事控」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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