野井倉村(読み)のいくらむら

日本歴史地名大系 「野井倉村」の解説

野井倉村
のいくらむら

[現在地名]有明町野井倉

志布志しぶし伊崎田いさきだ村の南、南東流する菱田ひしだ(野井倉川)左岸河岸段丘とそれに連なるシラス台地に広がる。東は志布志郷安楽あんらく(現志布志町)、西は菱田川を挟んで同郷蓬原ふつはら村、大崎おおさき菱田(現大崎町)、南部は海(志布志湾)に面する。菱田川沿いの沖積面に水田が開かれていたため、集落は沖積面とシラス台地周辺部に発達した。日向国諸県もろかた郡に属する。正平一四年(一三五九)一一月一五日、島津氏久は大隅国姶良あいら得丸とくまる(現吾平町)の領主得丸左近将監に対し、大隅国小原おばる別符(現串良町)西方地頭分、柏原かしわばる東方(現東串良町)とともに「救仁院内野与倉(条カ)」を兵粮料所として宛行っている(「島津氏久宛行状」旧記雑録)


野井倉村
のいぐらむら

[現在地名]東伯町野井倉

加勢蛇かせいち川上流左岸段丘上に位置し、同川を挟んで北東中津原なかつはら村と対する。古布庄こうのしよう谷最南端の集落で、地内の一向平いつこんがなるから大山滝・大休おおやすめ峠、川床かわとこ(現大山町)を経て大山に通ずる大山道(川床道)が通る。また東は地蔵じぞう峠を経て野添のぞえ明高みようこう(現関金町)へ通ずる山道がある。これらの道は江戸時代から明治・大正まで盛況だった大山の牛馬市への道でもあった。拝領高は六五石余、幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高六一石余、竈数一八。元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)によれば家数一八、うち余業六(炭焼三、飼博労・蓑商棒・農業日雇各一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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