三条藩(読み)さんじょうはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三条藩」の意味・わかりやすい解説

三条藩
さんじょうはん

越後(えちご)国三条新潟県三条市)に居を定めた藩。最初、三条には独立した藩はなく、1598年(慶長3)より1610年(慶長15)までは、越後国春日山(かすがやま)城主堀氏の重臣堀直政(なおまさ)(5万石)とその嫡子直次が在城、その後1616年(元和2)までは、徳川家康の六男松平忠輝(ただてる)(越後国福島城主、のち高田城主)の付家老(つけがろう)松平(能見(のみ))重勝(2万石)が在城した。初めて独立した藩が置かれたのは市橋長勝(いちはしながかつ)のときで、1616年忠輝が改易となると、伯耆(ほうき)国(鳥取県)矢橋(やばせ)より移封されて4万1300石を領した。ついで1620年長勝病死後、越後国藤井より稲垣重綱が入って2万3000石を領した。しかしながらいずれも短期間で、1623年重綱の大坂定番転出とともに廃藩となった。

[松永克男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三条藩」の意味・わかりやすい解説

三条藩
さんじょうはん

江戸時代初期,越後国 (新潟県) 蒲原郡三条地方を領有した藩。堀直政の5万石に始り,松平 (能見) 氏2万石,市橋氏4万 1300石,稲垣氏2万 3000石と続き,稲垣氏が慶安4 (1651) 年に三河刈谷に転出後は同国村上藩領となる。

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