堀直政(読み)ほりなおまさ

改訂新版 世界大百科事典 「堀直政」の意味・わかりやすい解説

堀直政 (ほりなおまさ)
生没年:1548-1608(天文17-慶長13)

安土桃山時代武将堀秀政,秀治の与力監物と称する。1582年(天正10)明智秀満を近江坂本城に囲んだときの戦功と,84年長久手の戦の退き口の戦功とが著名である。堀秀治が98年(慶長3)越後転封したとき,直政は堀氏与力のまま豊臣氏の判物で三条城で5万石を与えられ,蔵入地代官を兼ねた。子の直次,直寄も秀治に仕えたが,この両人は争い,1610年堀氏改易の原因をつくった。しかし直寄は罪せられず,子孫は繁栄した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀直政」の解説

堀直政 ほり-なおまさ

1547-1608 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)16年生まれ。奥田直純の子。母は堀秀重の姉。織田信長,豊臣秀吉につかえ,堀秀治(ひではる)に属した。天正(てんしょう)13年堀姓をあたえられる。慶長3年秀治が越後(えちご)(新潟県)春日山(かすがやま)城主となったとき,家老として沼垂(ぬたり)郡5万石を分与され三条城代となる。上杉遺民一揆(いっき)鎮定にあたった。慶長13年2月26日死去。62歳。通称は三右衛門,監物。

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世界大百科事典(旧版)内の堀直政の言及

【堀氏】より

…しかし秀政の次男親良がその翌年下野真岡を,1627年(寛永4)烏山2万8000石余を与えられて信濃飯田堀氏の祖となった。また秀政,秀治の与力であった堀直政は主家の姓を継ぎ,その庶子直寄が1610年幕府から信濃飯山を与えられ,直寄の次男直時が領地を分与されて越後村松堀氏を興し,直政の三男直重が15年(元和1)越後の内を領して須坂堀氏を興し,五男直之の家が椎谷堀氏を興すなど,直政の家系は繁栄した。維新後いずれも子爵。…

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