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堀直政 ほり なおまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

堀直政 ほり-なおまさ

1547-1608 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)16年生まれ。奥田直純の子。母は堀秀重の姉。織田信長,豊臣秀吉につかえ,堀秀治(ひではる)に属した。天正(てんしょう)13年堀姓をあたえられる。慶長3年秀治が越後(えちご)(新潟県)春日山(かすがやま)城主となったとき,家老として沼垂(ぬたり)郡5万石を分与され三条城代となる。上杉遺民一揆(いっき)鎮定にあたった。慶長13年2月26日死去。62歳。通称は三右衛門,監物

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朝日日本歴史人物事典の解説

堀直政

没年:慶長13.2.26(1608.4.11)
生年:天文16(1547)
安土桃山時代の武将。父は奥田直純,母は堀秀政の伯母。はじめ織田信長に仕え,その後堀秀政・秀治父子に仕えた。永禄7(1564)年の美濃攻めをはじめ歴戦で軍功をあげる。信長死後は羽柴(豊臣)秀吉に従い,天正11(1583)年の賤ケ岳の戦などに従軍。同13年,秀政の越前北庄への移封に従い,堀の姓を賜わる。慶長3(1598)年には秀治の越後春日山移封に従って沼垂郡5万石を領し,三条城主となる。また豊臣直轄領,越後布施地の代官を命ぜられた。秀吉の死後,遺物国俊の刀を受領。同5年の関ケ原の戦の際には越後にあって上杉景勝の策動による遺民一揆を鎮圧,主家堀氏の支配力維持に力を尽くした。

(長谷川弘道)

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世界大百科事典 第2版の解説

ほりなおまさ【堀直政】

1548‐1608(天文17‐慶長13)
安土桃山時代の武将。堀秀政,秀治の与力。監物と称する。1582年(天正10)明智秀満を近江坂本城に囲んだときの戦功と,84年長久手の戦の退き口の戦功とが著名である。堀秀治が98年(慶長3)越後に転封したとき,直政は堀氏与力のまま豊臣氏判物で三条城で5万石を与えられ,蔵入地代官を兼ねた。子の直次,直寄も秀治に仕えたが,この両人は争い,1610年堀氏改易の原因をつくった。しかし直寄は罪せられず,子孫は繁栄した。

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世界大百科事典内の堀直政の言及

【堀氏】より

…しかし秀政の次男親良がその翌年下野真岡を,1627年(寛永4)烏山2万8000石余を与えられて信濃飯田堀氏の祖となった。また秀政,秀治の与力であった堀直政は主家の姓を継ぎ,その庶子直寄が1610年幕府から信濃飯山を与えられ,直寄の次男直時が領地を分与されて越後村松堀氏を興し,直政の三男直重が15年(元和1)越後の内を領して須坂堀氏を興し,五男直之の家が椎谷堀氏を興すなど,直政の家系は繁栄した。維新後いずれも子爵。…

※「堀直政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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