三江城跡(読み)みえじようあと

日本歴史地名大系 「三江城跡」の解説

三江城跡
みえじようあと

[現在地名]島原市寺中町

有明海に臨む中世の城館の跡。寺中(じちゆう)城または三会(みえ)城とよばれ、島原氏の家臣和泉左京が在城したと伝える。戦国末期、龍造寺氏を阻止するため島津氏が島原半島に出兵、龍造寺氏に呼応して島原の城主らが有馬晴信に反逆するまでは三会および多比良(たいら)・神代(こうじろ)(現国見町)などの諸城は有馬領であったという(フロイス「日本史」)。天正一一年(一五八三)頃、「有馬ノ領内美江・島原・深江ノ城」を龍造寺隆信が討取ったという(「勝部兵衛門聞書」旧記雑録)。同一二年三月二三日「三重之町にて少々矢軍共」があった(「上井覚兼日記」同月二四日条)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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