三浦義一(読み)ミウラ ギイチ

20世紀日本人名事典 「三浦義一」の解説

三浦 義一
ミウラ ギイチ

昭和期の国家主義者,歌人 全日本愛国者団体会議最高顧問;大東塾顧問。



生年
明治31(1898)年2月27日

没年
昭和46(1971)年4月10日

出生地
東京

出身地
大分県大分市

学歴〔年〕
早稲田大学〔大正9年〕中退

経歴
中学時代、短歌維新の会」同人。アララギ派。早稲田大学を中退して大分に帰り九州電力を経て、昭和2年上京、政治活動に入る。7年皇道日本の建設を目的とする大亜義盟を組織。9年三井合名会社顧問・益田孝を不敬罪で恐喝し、検挙・起訴される。10年国策社を創立、雑誌「国策」を刊行。14年政友会総裁中島知久平狙撃を計画するが失敗。16年大東塾顧問。雑誌「ひむがし」を創刊戦後は追放解除後、右翼運動の育成に尽力、また政財界の黒幕として活動し、日本橋室町に事務所を構えたことから“室町将軍”の異名をとった。歌集に「当観無常」「玉鉾の道」「悲天」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦義一」の解説

三浦義一 みうら-ぎいち

1898-1971 昭和時代の国家主義者。
明治31年2月27日生まれ。大亜義盟,国策社を結成。昭和7年虎屋(とらや)恐喝事件,10年益田孝(たかし)の不敬糾弾事件,14年中島知久平(ちくへい)狙撃事件をおこした。戦後は政財界の黒幕と目され,東京日本橋の室町に事務所をかまえて室町将軍とよばれた。昭和46年4月10日死去。73歳。大分県出身。早大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三浦義一」の解説

三浦 義一 (みうら ぎいち)

生年月日:1898年2月27日
昭和時代の国家主義者。全日本愛国者団体会議最高顧問;大東塾顧問
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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