日本歴史地名大系 「下妻郡」の解説
下妻郡
しもつまぐん
〔古代〕
郡名の確実な初見は「延喜式」民部上まで下る。しかし「日本書紀」持統天皇四年(六九〇)九月二三日条にみえる「上陽郡」は上妻郡の郡名の初見と考えることができ、「筑後国風土記」逸文(釈日本紀)には「上妻県」ともみえる。一方、「日本書紀」景行天皇一八年七月七日条には景行天皇が「八女県」に至った時の記事がみえる。それによると天皇が
郡」「下妻郡」はみえないものの、古くは
」「下陽
」に分れ、それらが上妻・下妻とよばれるようになったと考えられる。「和名抄」には管郷として
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報