三田一丁目(読み)みたいつちようめ

日本歴史地名大系 「三田一丁目」の解説

三田一丁目
みたいつちようめ

[現在地名]港区三田二丁目

三田通に面した片側の年貢町屋。西は高く、東へ向け低くなる地勢。東は通りを挟んで薩摩鹿児島藩松平(島津)家居屋敷および阿波徳島藩蜂須賀家中屋敷・三河挙母藩内藤家上屋敷、西は伊予松山藩松平家中屋敷、南は神宮じんぐう寺および同寺門前、北は筑後久留米藩有馬家上屋敷。もとは三田村のうち。徳川家康の関東入部後しだいに町並になり、寛文二年(一六六二)町奉行支配となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む