日本歴史地名大系 「三田北代地町」の解説 三田北代地町みたきただいちまち 東京都:港区旧芝区地区三田北代地町[現在地名]港区高輪(たかなわ)一丁目三田寺(みたてら)町の南に位置し、魚籃(ぎよらん)坂に面した片側の年貢町屋。東は三田台裏(みただいうら)町、西および南は肥後熊本藩細川家中屋敷、北は魚籃坂を隔てて魚籃寺・宗清(そうせい)寺などと上高輪宝徳寺(かみたかなわほうとくじ)門前町。北西大信(だいしん)寺の向いに肥後熊本藩辻番所があった。もとは飯倉片(いいぐらかた)町辺りにあったが、延宝六年(一六七八)甲府宰相(徳川綱重)下屋敷用地となった。三田村に二ヵ所に分けて代地を与えられ、このうち北に位置するので北代地町という。元地にあった寛文年中(一六六一―七三)から町奉行・代官の両支配であった。向い側に魚籃観音(魚籃寺)があることから、東側の三田台裏町とともに魚籃前と称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by