三田浄久(読み)さんだ・じょうきゅう

朝日日本歴史人物事典 「三田浄久」の解説

三田浄久

没年元禄1.11.27(1688.12.19)
生年:慶長13(1608)
江戸前期の俳人通称は七左衛門,のち庄左衛門。大坂伏見呉服町に住んだが,のちに河内柏原へ移住。松永貞徳安原貞室らと交流。富裕な町人狂歌,俳諧に遊び,『河内鑑名所記』(1679)の刊行もある。大坂に住する俳人とも親しく,ことに古川定圃の前句付に助力を惜しまなかった。大坂の前句付振興に貢献した人といえる。他界の年には,8月から11月下旬まで,前川由平,井原西鶴と俳諧を興行しており,その途中で没した。<参考文献>平林治徳編『三田浄久

(楠元六男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三田浄久」の解説

三田浄久 さんだ-じょうきゅう

1608-1688 江戸時代前期の俳人。
慶長13年生まれ。松永貞徳にまなぶ。同門の北村季吟(きぎん),安原貞室(ていしつ),談林派の井原西鶴(さいかく)らと親交があった。延宝7年「河内鑑(かわちかがみ)名所記」をあらわす。河内(大阪府)柏原で廻船業大文字屋をいとなんだ。元禄(げんろく)元年11月27日死去。81歳。安芸(あき)(広島県)出身。本姓は水野。名は浄久(きよひさ)。通称は庄左衛門,七左衛門。別号に不老軒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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