三田豊岡町(読み)みたとよおかちよう

日本歴史地名大系 「三田豊岡町」の解説

三田豊岡町
みたとよおかちよう

[現在地名]港区三田みた五丁目

三田寺みたてら町の西方に位置する町屋。東は林泉りんせん寺・随応ずいおう寺および随応寺の門前称讃しようさん寺、西は麻布善福寺あざぶぜんぷくじ門前代地町、南は伊予小松藩一柳家下屋敷、北は幕臣邸地。もとは三田村のうちの原野であった。周辺がしだいに武家拝領地となり、割余地は宝永五年(一七〇八)数寄・路次の者が大縄地として拝領した。その頃から豊岡町と称するようになったが、名前の由来は不明(文政町方書上)。開拓者豊岡某からとったとする説もある(東京案内)。正徳三年(一七一三)に町奉行支配となり、公役銀を上納。町域は北側・南側・西側に分れる。町内間数は田舎間で北側表三九間余・南側表二六間余・西側表二六間余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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