三道山村(読み)さんどうやまむら

日本歴史地名大系 「三道山村」の解説

三道山村
さんどうやまむら

[現在地名]寺井町三道山

粟生あお村の南、手取川下流南岸に位置し、南は寺井村。三堂山とも記す。貞享元年(一六八四)十村武兵衛が改作奉行へ差出した申上状によれば、三堂山の山続きに在所があるためその山の名を村名としたという。また寺井村から七軒が分離して成立したと伝え、その七軒は当村の草分となっている(寺井町史)。慶長五年(一六〇〇)大聖寺だいしようじ(現加賀市)の山口玄蕃攻撃のため金沢を出発した前田利長は三道山に布陣小松丹羽長重に備えて岡島一吉・不破大学らに守らせたという(山口記)。江戸時代は加賀藩領であったが、寛永一六年(一六三九)から万治二年(一六五九)までは越中富山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む