三野寺跡(読み)みのでらあと

日本歴史地名大系 「三野寺跡」の解説

三野寺跡
みのでらあと

[現在地名]相生市矢野町三濃山

三濃みのう山の南腹、標高四五〇メートル付近にあった天台宗寺院。三野山みのさん観音と通称し、求福教ぐふくきよう寺・求福寺とも。三濃山村は当寺を中核に成立した。「峯相記」に「三野山観音、秦内満建立」とみえる。秦内満は「三代実録」貞観六年(八六四)八月一七日条に「播磨国赤穂郡大領外正七位下秦造内麻呂仮叙外従五位下」とある人物に比定されている。弘安九年(一二八六)閏一二月二四日の預所某施行状案(東寺百合文書)に「三野寺御奉免新田五段」とみえ、その所当は院宣沙汰により寺倉に入れるとされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む