五重塔(読み)ごじゅうのとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「五重塔」の意味・わかりやすい解説

五重塔(仏塔)
ごじゅうのとう

五重の仏塔の総称。木造、石造などある。仏塔はストゥーパを音訳した卒塔婆(そとば)、塔婆(とうば)の略称で、本来は仏陀(ぶっだ)の廟(びょう)であった。ストゥーパは墳墓の形を示し、円筒形の台基の上に墳丘をかたどった半球状の伏鉢(ふくばち)があり、その頂上に平頭(へいとう)と傘蓋(さんがい)を受ける傘竿(さんかん)が立てられる。仏教がインドから中国に伝えられて、その祠堂(しどう)は、浮屠祠(ふとのし)(仏陀の祠(ほこら))とよばれたが、この祠の中央には相輪(そうりん)をのせた重楼があったという。ストゥーパの台基が楼閣に変わり、伏鉢・平頭・傘竿が相輪に発展した。この建物はそれ自体が浮屠または浮図(ふと)の名で代表されるようになり、楼閣も三重あるいは五重でつくられるようになった。わが国で現存する最古の五重塔は奈良・法隆寺五重塔で、中心に立つ心柱(しんばしら)は根元が地中に掘り立てられている。心柱は奈良時代からは基壇上に立てられる。各重の大きさの縮減率は古代のものほど大きいので安定性に富む。もともと塔は内部が土間であったが、平安時代からは板敷きになり、周囲に縁が巡らされるようになる。京都東寺の五重塔は55.7メートルの高さで、最大の五重塔として著名である。

[工藤圭章]



五重塔(幸田露伴の小説)
ごじゅうのとう

幸田露伴(こうだろはん)の短編小説。1891年(明治24)11月~92年3月新聞『国会』に連載。92年10月刊『尾花集』に収む。抜群の腕前をもちながら、鈍重な性格ゆえに「のっそり」とあだ名される大工十兵衛(じゅうべえ)は、谷中(やなか)感応寺(かんのうじ)の五重塔建立の計画を知って末代にわが名をとどめる好機と奮い立ち、先輩の川越源太から仕事を奪い取る。源太の侠気(きょうき)に満ちた協力の申し出も拒み、さまざまな妨害をはねのけて、あくまでも独力で塔を建てた。落成式の前日、暴風雨に襲われるが、塔は微動だにしなかった。芸道に精進する男の意地と執念という露伴独自の主題を、西鶴(さいかく)に学んだ雄渾(ゆうこん)な文体で描いた傑作で、とくに結末のすさまじい嵐(あらし)の描写は圧巻である。

[三好行雄]

『『五重塔』(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五重塔」の意味・わかりやすい解説

五重塔
ごじゅうのとう

5層の屋根をもつ層塔で,日本の大寺院建築様式の典型の一つ。初層は,四天柱を四隅とし,内陣といわれる部屋に,仏像,壁画などを安置する。2層以上は中空で,部屋を構成していない。最上層の屋根は中心に相輪を立て,宝珠,水煙,九輪などで飾られている。塔体はほとんどが木造で,裳階 (もこし) などの建築意匠をもつものもあり,全体に均整のとれた美しい建築で,美術史上の傑作とされている。現存のものでは法隆寺五重塔がいちばん古い建造とされている (白鳳時代。全高 32.5m) 。建築学的に注目されるのは,木造の高塔であるのに,耐震的に安定している点である。これは心柱の特殊な構造によるものとされる。古代のものは礎石上に直接心柱が立てられ,全体を吊る様式であったが,鎌倉時代以降のものは,初層の上から心柱を立てているものが多く,江戸時代には逆に上から宙吊りの心柱まで出現した。これらは塔の固有振動周期を調節し,力学的に地震による振動エネルギーを散らす働きをするものと考えられ,経験的に得られた建築工学として評価,研究されている。

五重塔
ごじゅうのとう

幸田露伴の中編小説。 1891年 11月~92年3月,新聞『国会』連載。腕は抜群だが愚鈍なため「のっそり」とあだ名される大工十兵衛が,江戸谷中の感応寺五重塔建立の仕事を川越の源太と争い,さまざまな妨害にも屈せず,ついに完成するまでの屈曲を描く。義理人情の世界をこえる非情な主我を独特の名文で写して明治文学の新生面を開拓,露伴一代の名作となった。

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