三B政策(読み)さんびーせいさく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三B政策」の意味・わかりやすい解説

三B政策
さんびーせいさく

第一次世界大戦前、ドイツの帝国主義的近東政策を象徴的に表現した語。三BとはベルリンBerlin、ビザンティウムByzantium(コンスタンティノープル、現イスタンブール)、バグダードBagdadの頭文字をとったもので、ドイツ本土―東南ヨーロッパ―バルカン―小アジア―ペルシア湾を結ぶドイツの近東進出策を示す。ドイツ帝国は、ビスマルクのもとではこの方面に「利害関係がない」とする態度を維持していたが、ビスマルク辞任(1890)後1890年代後半からオスマン帝国と親密な関係をつくり、ドイツ資本を中心とするバグダード鉄道をペルシア湾まで敷設する権利や、オスマン帝国陸軍を指導する権利などを得て、強力に陸路から直接近東に進出する政策を推進した。この三B政策は、バルカンへ向かって南下政策を進めるロシア、トルコ保全政策を維持していたイギリス、近東の既得権益に固執するフランスに脅威を及ぼし、列強の帝国主義競争を激化させて、第一次世界大戦の重要な原因の一つを形成した。

[岡部健彦]

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