19世紀末から第一次世界大戦に至るイギリスの帝国主義政策の基本路線。南アフリカのケープ・タウンCape Town、エジプトのカイロCairo、インドのカルカッタ(現コルカタ)CalcuttaのCを冠した3拠点で囲まれた地域を勢力範囲としようとするもの。ドイツの三B政策(ベルリン、ビザンティウムおよびバグダードを結ぶ近東政策)と対比される。1869年スエズ運河開通後、イギリス本国から地中海を経てインドに至る海上ルートは「エンパイア・ルート」Empire Routeとして海洋帝国の生命線とみなされ、カイロからカルカッタへのルートが重視された。さらに19世紀末には、C・ローズらによりケープ・タウンとカイロを結ぶアフリカ縦断鉄道構想が唱えられた。これらの海上、陸上の交通によって結ばれた地域を獲得するため、アフリカでは1898年フランスとのファショダ事件を招き、99年にはブーア戦争を起こした。アジアではロシアとのアフガン戦争を起こし、のちにはバグダード鉄道を軸とする前述のドイツの三B政策とも衝突した。
[石井摩耶子]