日本大百科全書(ニッポニカ) 「バグダード鉄道」の意味・わかりやすい解説
バグダード鉄道
ばぐだーどてつどう
Baghdad Railway 英語
Bagdadbahn ドイツ語
20世紀の初め、ドイツを中心とする国際資本により、トルコのアナトリア鉄道のハイダルパシャ―コンヤ間を延長して、コンヤ―バグダード(イラク)間に敷設された鉄道。
1888年にドイツ銀行は、トルコ政府から小アジアにおける鉄道建設権を得た。しかし、アナトリア鉄道のうちハイダルパシャ―イズミット間はイギリス資本により建設されていたため、ドイツはイギリスから既設部分を買収し、89年にアナトリア鉄道会社を設立した。ドイツは92年にイズミット―アンカラ間を完成させ、96年にはイズミットからコンヤまでの路線を完成させた。98年のドイツ皇帝ウィルヘルム2世の東方旅行以後、ドイツは積極的に東方政策を推進し、同年から1903年にかけて、ハイダルパシャの築港権と、コンヤからバグダードを経てペルシア湾岸のバスラ(イラク)に至る鉄道敷設権を獲得、バグダード鉄道会社を組織した。これによりドイツは、陸路で中欧から中東に至る勢力圏を形成することになるため、同鉄道はドイツ三B政策の基幹とみなされて、イギリス、ロシアとの帝国主義競争激化の原因の一つとなった。その後、ドイツとイギリスの交渉で、1914年にドイツはバグダード―バスラ間の敷設権を放棄したが、第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)したため、仮調印に終った。大戦が終結した18年までにバグダード鉄道はコンヤ―ヌサイビン(トルコ)間とバグダード―ザマラ間とに敷設されていたが(全長3200キロメートルの約3分の2)、完成せず、その後トルコ共和国が建設を継承して、1940年に全通した。
[岡部健彦]