南下政策(読み)なんかせいさく

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南下政策
なんかせいさく

帝政ロシアが、1696年ピョートル大帝のアゾフ攻略以来とった南方進出政策。ロシアは1768~74年、87~91年にはオスマン・トルコと戦いクリム・ハン国を併合して黒海に達し、1828~29年の戦争ではさらにドナウ川沿岸、黒海沿岸を獲得した。しかし1853~56年のクリミア戦争では、イギリス・フランスがトルコ側に参戦したため、南下を阻止され、1877年の戦争で得たバルカンにおける優位はベルリン会議で妨げられた。だが、ロシアのバルカンへの進出政策は、のちに第一次世界大戦の一因ともなった。一方、中央アジア方面では、1820年代からカザフスタンに南下、54年ベルヌイに要塞(ようさい)を建設、アラル海からシルダリア沿いにも進出し、コーカンド・ハン国を滅ぼして、67年タシケントにトゥルケスタン総督府を置いた。ブハラ、ヒバ両ハン国も1870年代初めまでに保護国となり、80~84年にはトゥルクメニアを占領して、中央アジア征服を終える。

[木村英亮]

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

南下政策
なんかせいさく

バルカン半島・小アジア方面への勢力拡大をねらう帝政ロシアの伝統的政策
ピョートル1世以来,不凍港獲得の目的で開始され,特に19世紀にはいると積極的に推進されて,露土(ロシアトルコ戦争クリミア戦争など,かずかずの国際紛争の原因となった。なお,広義には,ロシアの中央アジアからイラン方面への進出,アジア・中国への東進南下政策を含める場合もある。

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