日本歴史地名大系 「上久米田村」の解説 上久米田村かみくめだむら 福井県:坂井郡丸岡町上久米田村[現在地名]丸岡町上久米田丸岡城下の東南方向、加越山地の麓に位置し、城下より鳴鹿(なるか)(現吉田郡永平寺町)に至る鳴鹿道に沿う。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には「久米田郷」とみえ、一四三〇・八五石であった。正保郷帳で上下に分村、上久米田村は田方四六一石余・畠方一一九石余。丸岡藩領。天保九年(一八三八)の御領分高免牛馬男女竈改帳(高椋家文書)によれば家数三九、人数一五八、馬一六頭。「越前地理指南」は枝村として近所(きんじよう)(近庄)と六呂師(ろくろし)(現六呂瀬)を記す。近庄は北方の山竹田(やまたけだ)村、さらに加賀へと連絡する入口にあたり、「越前国名蹟考」によれば「近庄久米田より山中に加州へ越る間道あるよし近庄越といふとなり」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by