上切原村(読み)かみきりはらむら

日本歴史地名大系 「上切原村」の解説

上切原村
かみきりはらむら

[現在地名]本宮町上切原

切畑きりはた村の東南熊野川左岸に位置し、南は熊野川を隔てて大居おおい村と相対する。古くは熊野川沿いに田地が多くあったが、熊野川の洪水で流失したという。相野谷あいのたに川流域の切原村(現三重県南牟婁郡紀宝町)に対して上切原村と称したものであろう。「桐原」とも記され、文明一五年(一四八三)一二月二〇日付の桐原連署衆中銭借用状案(松本家文書)によると桐原きりはらの衆中がおにヶ城の衛門から二貫文を借りている。慶長検地高目録は切原村として高三三七石余、小物成四・六〇六石。三里組に属し、延宝五年(一六七七)より和歌山藩新宮領となる(新宮藩御勘定方旧記「和歌山県史」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android