上古賀村(読み)かみこがむら

日本歴史地名大系 「上古賀村」の解説

上古賀村
かみこがむら

[現在地名]筑紫野市上古賀一―四丁目・上古賀・二日市南ふつかいちみなみ一丁目・湯町ゆまち二―三丁目・武蔵むさし四丁目

二日市村の南、天拝てんぱい山東麓にある。西は武蔵村。文明一一年(一四七九)一一月一九日の少弐政資安堵状写(筑紫古文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)によれば、少弐政資から筑紫孫次郎(満門)に安堵された所領に「上空閑八拾町」がみえ、「二番及知行之」とある。またこの地は少弐満貞の「御不快」により一時不知行化していたようである。小早川時代の指出前之帳の上古賀村の田三三町五反余(分米四二〇石余)・畠一町三反余(分大豆一〇石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高は五一〇石余(慶長石高帳)


上古賀村
かみこがむら

[現在地名]安曇川町上古賀

安曇川の北に位置し、下古賀村の西に接する。中世古賀庄のうち。江戸初期より若狭小浜藩領。寛永石高帳では高六二二石余。慶安高辻帳では田方五五八石余・畑方六三石余。宝暦九年(一七五九)の家数一五六。文化四年(一八〇七)の家数一七〇・人数八三九(高島郡誌)。寛政四年(一七九二)あるいは天保九年(一八三八)幕府巡見使に差出した村明細帳(同書)によれば、家数一七六・人数七七九、馬二・牛六八で、免は七ツ五厘、幕府に対して椿山と松林山の小物成(山年貢)米五石を納める。村高のうち大工高が六五石余あり、この分は助郷などが免除されていた。当村の大工は高島郡の大工組四組のうち霜降組に属した。


上古賀村
かみこがむら

[現在地名]吉井町長栖ながすなど

下古賀村(現田主丸町)の東に位置する。屋敷地は美津留みつる川右岸にある(上三郡絵図)竹野たけの郡に属する。本高は一〇六石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高一八〇石・役高六五三石。享保一二年(一七二七)の夏物成は大麦二七石一斗余・小麦一四石七斗余・菜種七石四斗余(「竹野郡本地夏物成帳」中村家文書)。寛政元年(一七八九)の撫斗代八斗二升、人数一四五、馬八(上三郡取調手鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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