武蔵村(読み)むさしむら

日本歴史地名大系 「武蔵村」の解説

武蔵村
むさしむら

[現在地名]筑紫野市武蔵・武蔵一―五丁目・湯町ゆまち一―三丁目・天拝坂てんぱいざか一―六丁目

二日市ふつかいち村の西にあり、天拝山東麓に位置する。北は塔原とうのはる村。温泉が湧出し、塔原村にまたがって湯町が形成されていた。法印信快が記した戦国期のものと考えられる年月日欠の灯明方目録案(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一四)によれば、八月二一日から二四日暁まで「武蔵村天拝峯」で留守職大鳥居氏が勤仕する灯明の料所は大宰府内にあった。文明一〇年(一四七八)とされる一〇月一〇日の陶尾張守(弘護)宛渋川教直書状(正任記)によると、九州探題渋川氏を助けた大内氏による少弐氏残党との合戦において、武蔵に少弐氏の残党が逃込んでおり、その討滅が大内氏に命じられている。天文二年(一五三三)一二月、大内氏の守護代陶道麒の軍は筑紫氏の拠る武蔵城を攻略した(「肥陽軍記」など)。「歴代鎮西志」天正一二年(一五八四)一二月七日条には筑紫広門の出城の一つとして「武蔵」がみえ、筑紫氏所領城数覚書(筑紫古文書/佐賀県史料集成二八)にも御笠みかさ郡内の筑紫氏の居城なかに「武蔵ノ城」がみえる。

武蔵村
むさしむら

[現在地名]十津川村大字武蔵

小原おはら村の東方、十津川筋東岸の村。十津川郷のうち。寛永郷帳では村高一六・〇九五石、幕府領元禄郷帳では村高一三・二五石となっている。同帳に「武蔵村之枝郷」として大野村七石の記載がある。安政四年(一八五七)の産物取調帳(十津川宝蔵文書)に杉角尺〆一〇〇本、檜角尺〆二〇本、椴栂松尺〆二〇本、樽丸八〇丸、茶八〇貫目、楮三〇貫目、割菜八〇貫目、煙草二四〇貫目、槻皮曲物細工(代金三両)とみえる。

村内に湯泉地とうせんじ温泉があり、寛永郷帳には湯本村の村名が記されている。「大和志」の開梁の項に「温泉渡在東泉寺前済十津川」とある。

武蔵村
むさしむら

[現在地名]天理市武蔵町

なかツ道の街村。東は海智かいち村。慶長郷帳の村高六三三・一石。初め旗本佐久間政実領。正保四年(一六四七)旗本水野氏(忠貞系)領となり、明治維新に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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