上和田砦跡(読み)かみわだとりであと

日本歴史地名大系 「上和田砦跡」の解説

上和田砦跡
かみわだとりであと

[現在地名]岡崎市上和田町 城前

市域東部から延びる低段丘上に位置し、旧鎌倉街道を扼する地点にあり、この上和田の砦は戦国大名および三河一向一揆攻防の拠点の一つとして知られる。織田信長の父信秀は尾張一国をその支配下に置き、守山もりやま崩れによる松平七代清康の死と松平氏の分裂衰退に乗じて西三河へ軍を進め、安祥あんしよう(現安城市)を攻略し、上和田の地に砦を築いて松平氏の軍と対峙した。他方、京都への進出を目指す駿河の今川義元は松平氏と組んで軍を西三河に進め、天文一一年(一五四二)両者は小豆あずき坂に打って出て激しく戦った。同一七年、今川義元の大軍は松平勢とともに再び矢作川を渡って小豆坂に陣を築き、織田信秀の軍も安祥に着陣、上和田の砦に軍を進め、両者は再び小豆坂付近で雌雄を決すべく戦った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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