日本歴史地名大系 「上小金井村」の解説 上小金井村かみこがねいむら 東京都:小金井市上小金井村[現在地名]小金井市前原町(まえはらちよう)一―五丁目・東町(ひがしちよう)一丁目・同五丁目など貫井(ぬくい)村の東に位置し、北と東は下小金井村、南は人見(ひとみ)村(現府中市)。中世は下小金井村も含めた一帯は金井(かない)原とよばれ、観応三年(一三五二)閏二月に足利尊氏と新田氏の合戦があった。応永一〇年(一四〇三)の周林勧進状写(長弁私案抄)の冒頭に「自金井所望」とあり、ここにみえる金井を当地にあてる説がある。金井は周林の住所、もしくは周林と長弁の仲介者名またはその住所と考えられる。「小金井市誌」歴史編は当地の修験光明(こうみよう)院の別名としている。光明院は神明宮付近にあったといわれる修験で、子孫である梶家の屋敷内墓地から多くの板碑が出土した。梶家は武蔵七党の一つ丹党の加治氏の系統といわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by