上平蔵町・下平蔵町
かみへいぞうまち・しもへいぞうまち
[現在地名]大津市
中央四丁目・
松本二丁目
下堅田町の東に上平蔵町・下平蔵町と続き、いずれも浜町通の両側町。下堅田町との間に吾妻川が流れ、その東岸に島ノ関が置かれている。寛保二年町絵図には平蔵町とみえ、その東に同下組と記す。また湖辺に土井屋敷と若狭蔵が記される。若狭蔵の東に小舟入とよばれる船着場があり、矢橋(現草津市)と結んだ。「輿地志略」にみえる小舟入町はこの船着場辺りであろう。文化五年(一八〇八)建立の常夜灯が残っている。東の甚七町との間に治郎左衛門町とあり、その湖辺に猿ヶ関がある。町名は近世初頭に船奉行であったという早崎平三(家久)の居所が両町にあったことに由来するというが、平三は大津城主浅野長吉らのもとで御蔵入米の管理に従事していたともいわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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