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米会所 こめかいしょ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

米会所
こめかいしょ

江戸時代,江戸や大坂などの大都市,諸藩の城下町,新潟などに設けられた米穀集散地の米商組合の集合所。米相場や手形引替所を兼ねていた。

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デジタル大辞泉の解説

こめ‐かいしょ〔‐クワイシヨ〕【米会所】

江戸時代、米市の運営をまかされた役所。
明治9年(1876)以前の米穀取引所の旧称。

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百科事典マイペディアの解説

米会所【こめかいしょ】

江戸時代の米穀類の取引所(市場)。諸藩の蔵屋敷が集中した大坂では蔵元(くらもと)淀屋の店頭で相場立が行われたが,淀屋処罰後,1697年ごろ堂島(どうじま)米市場が成立。

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世界大百科事典 第2版の解説

こめかいしょ【米会所】

江戸時代における米穀類の取引所。石高制にもとづく江戸時代の貢納は原則として米であり,大量の年貢米がその貨幣化のために市場に放出されたから,城下町や主要な在町,また港湾都市や中央都市などの米の集散地には単一商品の卸売市場としての米市が成立した。もっとも初期の米取引は特定の会所をもつことなく,随時仲買が寄集して相場立てを行ったと思われ,各地の米会所の成立年次は明確でなく,興廃・中絶も一様ではないが,西廻海運開通以前,北国米・江州米の集散地であった大津では,1644年(正保1)に成立している。

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大辞林 第三版の解説

こめかいしょ【米会所】

米穀取引所の旧称。1876年(明治9)に改称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

米会所
こめかいしょ

江戸時代における米の取引所あるいは取引所に付随した米商人の組合事務所をいう。用語としては明治以降も使用される場合もある。石高制に基づく米納年貢制がとられた江戸時代にあっては、諸領主の財政は主として年貢米によっており、諸領主は貨幣獲得のためにこれら大量の年貢米を商品化する必要があった。したがって城下町や港町、大坂などの中央都市では活発な米取引が行われ、これら米集散地のなかには米の卸売市場としての米市(こめいち)や米会所が成立した。卸売市場としての米会所の成立時期や組織は一様ではないが、1644年(正保元)に大津の米会所が成立している。大坂では17世紀末以降、堂島(どうじま)米市場が米取引の中心となるが、それに付随した形で米会所が成立する。この堂島米会所は堂島米市場に付随する事務所施設であり、堂島米仲買の代表である米方年行司(こめかたねんぎょうじ)が運営にあたった。なお大坂では1725(享保10)~1730年の間に幕府公認の下、3回にわたって江戸商人による米会所が設立されている。この米会所は米取引所であったが、いずれも大坂商人の反発を受け短期間で廃止されている。畿内(きない)直轄都市ではこのほかにも堺、兵庫に米取引の場としての米会所があった。一方、諸藩領の米会所としては、金沢、名古屋、桑名、広島、尾道(おのみち)、赤間関(あかまがせき)、博多などの例が知られ、これら米会所では藩の認可や黙認の下で正米(しょうまい)取引や米の先物取引が行われた。[本城正徳]
『鈴木直二著『徳川時代の米穀配給組織』復刻版(1977・国書刊行会) ▽土肥鑑高著『近世米穀流通史の研究』(1969・隣人社)』

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世界大百科事典内の米会所の言及

【大津[市]】より

… 一方,港町の施設としては,湖岸に川口関,大橋堀などの荷揚場が築かれ,その付近に幕府や彦根藩,加賀藩をはじめ多くの蔵屋敷が軒を並べていた。天領,私領の別なく膨大な量の年貢米が荷揚げされ,米相場がたち,1735年(享保20)には米の取引を管掌する御用米会所もおかれている。商業面では,これらの米を扱う米問屋のほか,江戸後期には酒屋,両替屋,絞油屋など37業種が株仲間を結成していた。…

【相場師】より

…その売り買いによって,取引所の市場価格が影響されるほどの者も,しばしば出現する。日本では近世初期,すでに大坂堂島の米会所で,投機取引が発達し,相場師が出ている。1816年(文化13)ころの《世事見聞録》には,米相場は大坂堂島が日本第一の根元で,そこには相場師という強勢なものが多くいて,ひとりで米10万石から100万石ほどを売買したりして,器量くらべ,運くらべをして勝負を決めているとある。…

【堂島米市場】より

…正徳(1711‐16)ごろには江戸の三谷三左衛門ほか2名が幕府から当地に大坂米座御為替御用会所の設立を許可され,同会所が米取引をとりしきった。同会所は1722年(享保7)ごろには廃止されたが,以降も江戸商人による米会所が計3回にわたって許可された。すなわち紀伊国屋源兵衛ほか2名による大坂御為替米御用会所(1725‐26),中川清三郎ほか2名による堂島永来町御用会所(1727‐28),冬木善太郎ほか4名による北浜冬木会所(1730)がそれである。…

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