上成村(読み)うわなろむら

日本歴史地名大系 「上成村」の解説

上成村
うわなろむら

[現在地名]檮原町上成・松谷まつだに

四万川しまがわ川の中流に位置し、南は宮野々みやのの村、西は伊予国。「土佐州郡志」には「上奈路村」とある。天正一六年(一五八八)津野檮原村地検帳のマサイ・上成名・松谷名の地域と考えられ、上成には正井野まさいのの通称が残る。同地検帳ではマサイ野は地積二反余、ヤシキ一筆で、津野氏の家老津野藤蔵人の給地。上成名は地積五町八反余、ヤシキ一九筆で、すべて津野氏の直轄地で重介の扣。また松谷名は地積四町二反余、ヤシキ一六筆。うち三町六反余は津野氏直轄地で名本三良左衛門の扣、五反余は津野氏の家臣三本兵庫助ほか三人の給地。


上成村
うえなしむら

[現在地名]結城市上成

結城城下から南下する街道沿いの村で、北は作野谷さくのや村。西を南流する川沿いの水田を望む台地縁辺部には縄文前期の土器片や須恵器片などが出土した中曾根なかそね遺跡があり、同じく西方天神てんじん山とその南からは、一三世紀前半から一五世紀後半の板碑二一基ほどが出土している。

弘治二年(一五五六)二月、称名しようみよう寺に与えた結城政勝書下状(称名寺文書)に「上無大坊 法道」という二人の称名寺門徒がみえる。永禄八年(一五六五)または九年、山川氏重は結城寺に「上山川之内山王内寺野田間 かす(れ)うへなし合而五十貫文、前々より之処」を寄進(山川氏重等連署寄進状写)しており、天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉が山川晴重に安堵した所領のなかにも「うへなし」がみられ(豊臣秀吉宛行状)、山川氏領に属していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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