上打穴北村(読み)かみうたのきたむら

日本歴史地名大系 「上打穴北村」の解説

上打穴北村
かみうたのきたむら

[現在地名]中央町打穴北うたのきた

南は上打穴中村、北東下打穴西しもうたのにし村に接し、二上ふたかみ山脈山間にあり、東に打穴川の谷が流れ、上打穴里かみうたのさと村と接する。もと上打穴村で、正保二年(一六四五)上打穴北村と上打穴上村とに分れた(作陽誌)正保郷帳も元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳も上打穴村として一村で記し、同年の美作国郷村帳では上打穴北村の高五二一石余。「作陽誌」の戸口は七四軒・三八〇人。元禄一一年幕府領、同一四年甲斐甲府藩主徳川綱豊領、宝永六年(一七〇九)幕府領、延享四年(一七四七)相模小田原藩領、文化一〇年(一八一三)幕府領、このとき大坂代官の直接支配を求めて署名した人数は五五人(久米町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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