二上山(読み)フタカミヤマ

デジタル大辞泉 「二上山」の意味・読み・例文・類語

ふたかみ‐やま【二上山】

にじょうさん(二上山)」に同じ。[歌枕]
富山県高岡市氷見市との境にある山。紅葉の名所。標高274メートル。[歌枕]

にじょう‐さん〔ニジヤウ‐〕【二上山】

大阪府奈良県との境にある火山。金剛山地北部に位置し、北の雄岳おだけ(標高517メートル)と南の雌岳めだけ(標高474メートル)の二峰からなる。雄岳山頂に大津皇子おおつのみこの墓がある。ふたかみやま。

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精選版 日本国語大辞典 「二上山」の意味・読み・例文・類語

ふたがみ‐やま【二上山】

  1. ( 「ふたかみやま」とも )
  2. [ 一 ] 富山県高岡市北部、氷見市との境にある山。中世、守山城があった。能登半島国定公園の一部。標高二七四メートル。守山。
    1. [初出の実例]「渋谿の二上山(ふたがみやま)に鷲そ子産とふ 翳(さしは)にも君がみために鷲そ子産とふ」(出典:万葉集(8C後)一六・三八八二)
  3. [ 二 ] 奈良県西部、大阪府との境にある二上(にじょう)山のこと。
    1. [初出の実例]「うつそみの人なる吾れや明日よりは二上山(ふたがみやま)を弟世(いろせ)と吾が見む」(出典:万葉集(8C後)二・一六五)

にじょう‐さんニジャウ‥【二上山】

  1. 奈良県と大阪府との境にある二上火山群の主峰。鐘状火山。雄岳(五一七メートル)と雌岳(四七四メートル)の二峰から成り、奈良盆地大阪平野からの山容が美しい。にじょうがたけ。ふたかみやま。

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日本歴史地名大系 「二上山」の解説

二上山
にじようさん

金剛山地(葛城山系)北部にあり、太子町と奈良県北葛城きたかつらぎ當麻たいま町にまたがる。頂上部は當麻町に属し、北側の(五一七メートル)と南側の(四七四・二メートル)からなる。二上火山群とよばれる火山岩および火山砕屑岩類から構成され、火山の噴出で原形ができ、その後浸食作用を受けたものである(→金剛山地。一帯は金剛生駒国定公園に含まれる。「ふたかみやま」・双子ふたご山ともよばれ、尼上にじよう嶽とも記す。北麓はサヌカイト(黒雲母讃岐岩)の近畿での主要な原産地で、旧石器時代から弥生時代にかけて継続して利用された。北麓には大阪府と奈良県にわたって四〇余の旧石器時代遺跡がある。二上山北麓旧石器時代遺跡群と総称され、大阪府側では羽曳野はびきの市の飛鳥新池あすかしんいけ遺跡・あなたに遺跡、太子町の穴虫峠あなむしとうげ遺跡など一〇数地点の旧石器時代遺跡が発見されている。

北部にある穴虫峠、南部にある岩屋いわや峠・竹内たけのうち峠は古代より河内と大和を結ぶ交通の要衝であった。


二上山
ふたがみやま

射水郡北西端にそびえる標高二七四メートルの山。その北裾は渋谿しぶたに埼となって富山湾に落込み、山海相接する景勝の地。名のとおり双頭の山で、古来神山として崇敬された。「続日本紀」宝亀一一年(七八〇)一二月一四日条に「越中国射水郡二上神」として叙位の記事が出てくるのは、この山の神であろう。「万葉集」の「越中国歌」(巻一六)には、この山に鷲の営巣していることが旋頭歌体で歌われ、山の北側には国指定史跡の桜谷さくらだに古墳群もあり、古い伝承の息づく山であった。古代越中国府はこの山の東麓に置かれていたので、天平一八年(七四六)から五ヵ年国守として滞在した大伴家持は、明け暮れこの山に親しみ、「二上山賦」(巻一七)はじめ数多くの歌を詠み、家持の部下たちもこの山を題材に作歌した。固有名詞を記さず、単に奥山とか八峯やつおとかしげ山とか詠んだ歌も、多くは二上山をふまえているが、二上の名が出てくる歌だけでも長歌五首・旋頭歌一首・短歌五首の計一一首に及ぶ。海に臨む北面を主にしていう場合は「渋谿の二上山」、射水川と関連付けては「射水川いゆきめぐれる二上山」と歌われている。


二上山
にじようさん

金剛山地北部の二上火山群の主峰で瀬戸内せとうち火山帯に属す。標高五四〇メートルの(北)と四七四・二メートルの(南)の二峰からなるトロイデ火山。大和・河内の国境をなし、東の奈良盆地、西の大阪平野の各地から眺められる。「ふたかみやま」、双子ふたご山ともいわれ、尼上にじよう嶽とも書いた。酸性・塩基性など各種の安山岩が数回にわたり噴出し、岩漿の輪廻、火山活動の変化など火山研究の好資料となっている。

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改訂新版 世界大百科事典 「二上山」の意味・わかりやすい解説

二上山 (にじょうさん)

生駒山地と金剛山地の間の鞍部,奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子(たいし)町の境にある山。北の雄岳(515m)と南の雌岳(474m)の2峰よりなり,〈ふたかみやま〉とも読み,双子(ふたご)山とも呼ばれる。山体のサヌカイト(讃岐石)は旧石器時代から石器の原料に使われた。北西方に凝灰岩が露出して灰白色の断崖が続き,ツルがたむろしているように見える奇景,屯鶴峰(どんづるぼう)があり,凝灰岩は古墳の石棺,石室や各種の建築用材として用いられた。現在は山麓に産するザクロ石を原料とするサンドペーパーなどの製造業が立地する。山麓には大阪平野と奈良盆地を結ぶ古代以来の道が通り,交通上の要地であった。雄岳の頂上に葛木二上神社がある。奈良盆地西部の山の中でも,その山容と歴史からことに親しまれ,登山客が多い。
執筆者: 二上山北側の穴虫峠と南側の竹内峠を越える道は,古来,大和と河内を結ぶ重要な道であった。前者が大坂道(近世には長尾街道),後者が当麻道(竹内(たけのうち)街道)である。古代においては,とりわけ大坂道が重視された。《日本書紀》崇神天皇9年3月条に,大坂神をまつった記事があり,天武8年(679)11月条には大坂山に関を設けたことなどが記され,大坂道の重要性を示す。二上山の東側に,当麻曼荼羅で有名な当麻寺があり,西側の磯長谷(しながだに)(大阪府南河内郡太子町)に,大王陵や終末期古墳の散在する事実は,二上山を冥界と境する山と見なす観念が存在していたことを示す。《万葉集》によれば,悲劇的な死をとげた大津皇子の屍を二上山に移葬し,大伯皇女(おおくのひめみこ)が〈うつそみの人にある我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む〉と歌ったとするのも,そうした観念と無関係ではあるまい。なお現在,二上山の雄岳の頂上に,大津皇子の墓があるとされるが,決定は1876年(明治9)に行われたもので,根拠も明確でない。
執筆者:


二上山 (ふたかみやま)

岡山県のほぼ中央部にある山。標高689m。山頂からは遠く伯耆大山や瀬戸内海を眺望することができ,山頂は北峰の城山,南峰の弥山(みせん)の二つに分かれている。山頂近くに泰澄が開いたと伝えられる両山寺(りようざんじ)がある。二上山の信仰で特徴的なのは,護法善神をまつる護法社の存在と,両山寺で8月14日に執行される護法祭である。護法は仏法の守護神であるが,修験道では修験者のよく使う使役神でもある。護法祭では,護法実(ごほうざね)と呼ばれる者の神がかりを中心としているが,護法実は1週間前より精進潔斎をし,祭りの当日には多数の山伏が集まって護法神の霊をつけ,境内をかけめぐる。この儀礼は,修験道のシャマニズム的性格を端的に表した行事といえる。
執筆者:


二上山(奈良) (ふたかみやま)

二上山(にじょうさん)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二上山」の意味・わかりやすい解説

二上山(奈良県・大阪府境界)
にじょうさん

奈良県葛城(かつらぎ)市と大阪府南河内(みなみかわち)郡太子(たいし)町の境界にある鐘状火山。金剛(こんごう)山地北部に位置し、北の雄(お)岳(517メートル)と南の雌(め)岳(474メートル)からなり、山名の由来となる。新第三紀の中新世から鮮新世にかけ活動した瀬戸内火山系に属する二上火山群の主峰で、讃岐(さぬき)岩(サヌカイト)、安山岩などからなり、付近一帯から瀬戸内火山系のほとんどの火山岩類を産出する。雄岳頂上には葛木二上神社(かつらぎにじょうじんじゃ)が鎮座し、謀反の疑いを受け自決した天武(てんむ)天皇第三皇子大津皇子(おおつのみこ)の墓がある。北西には白色の凝灰岩からなる奇勝屯鶴(どんづる)峯があり、山麓(さんろく)を穴虫(あなむし)越、竹内越など奈良盆地と大阪平野を結ぶ古代の交通路が通じる。「ふたかみやま」として『万葉集』などに詠まれ、とくに大津皇子の死を悼んだ姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む」が知られる。

[菊地一郎]


二上山(富山県)
ふたがみやま

富山県北西部、高岡市と氷見市(ひみし)の境にある第三紀層の山地。西は海老坂(えびさか)峠で西山に境する。二上山(274メートル)を主峰とし、城山(258メートル)とその北東の大師(だいし)ヶ岳(253メートル)を遠望すると二つのこぶ山にみえる。山地の北東部は急崖(きゅうがい)となって富山湾に臨み、雨晴(あまはらし)海岸がある。越中守(えっちゅうのかみ)大伴家持(おおとものやかもち)がこの山を詠んだ歌があり、一帯には家持の像、仏舎利塔万葉植物園などがある。能登(のと)半島国定公園の一部で、ドライブウェー二上山万葉ラインが通じる。

[深井三郎]

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百科事典マイペディア 「二上山」の意味・わかりやすい解説

二上山【にじょうさん】

〈ふたかみやま〉とも。大阪・奈良府県境をなす金剛山地の北部に噴出した二上火山群の主峰。雄岳(517m),雌岳(474m)からなる溶岩円頂丘で,山頂部は讃岐(さぬき)岩。各種の火山岩がみられ,岩漿輪廻(がんしょうりんね)の様子がわかる。《万葉集》に二上の嶽とみえ,死霊の鎮まる神聖な山とされていたという。雄岳山頂に葛城二上神社,大津皇子の墓があり,北部の屯鶴峰(どんづるぼう)は水食による凝灰岩の奇勝。一帯は金剛砂の産地。
→関連項目香芝[市]金剛生駒紀泉国定公園太子[町]当麻[町]二上火山帯

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二上山」の意味・わかりやすい解説

二上山
ふたがみやま

富山県北西部,高岡市の北東部にある山。標高 274m。主として新第三紀の砂岩層から構成され,西側は断層によって海老坂の鞍部に接し,東側は雨晴海岸に達している。万葉の昔,越中国の国守として赴任した大伴家持が月と紅葉の名所と詠んだ。仏舎利塔,大梵鐘があり,万葉植物園,青少年の家などが設けられている。ドライブコースの二上山万葉ラインも通じ,氷見海岸とともに能登半島国定公園に含まれる。

二上山
にじょうざん

奈良県大阪府の境にある金剛山地北部の山。別称二子山 (ふたごやま) 。古い火山岩からなり,北の雄岳 (517m) と南の雌岳 (474m) がある。古くは「ふたかみやま」と呼ばれ『万葉集』に多くの歌が詠まれている。雄岳の頂上に大津皇子の墓,雌岳の西稜に鹿谷寺跡がある。金剛生駒紀泉国定公園の一部。

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旺文社日本史事典 三訂版 「二上山」の解説

二上山
にじょうさん

大阪府と奈良県との境の金剛山地北端に位置する山
「ふたがみやま」とも読む。雄岳・雌岳2峰に分かれる。雄岳の頂上には大津皇子の墓と伝えられる墓所がある。平安時代,この山の落日は,阿弥陀来迎の印象を与えたという。

二上山
ふたがみやま

にじょうさん

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「二上山」の解説

二上山
(通称)
ふたがみやま

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
けいせい二上山
初演
享保9.1(京・瀬川座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の二上山の言及

【二上山】より

…奈良盆地西部の山の中でも,その山容と歴史からことに親しまれ,登山客が多い。【高橋 誠一】 二上山北側の穴虫峠と南側の竹内峠を越える道は,古来,大和と河内を結ぶ重要な道であった。前者が大坂道(近世には長尾街道),後者が当麻道(竹内(たけのうち)街道)である。…

【射水神社】より

…富山県高岡市古城公園に鎮座。もと北方の二上山の麓にあったが,1875年現在地に遷座した。二上山は双峰の霊山で,二神の山と仰がれ,神社も二上(ふたがみ)神社あるいは二上権現と呼ばれたが,《延喜式》には〈射水神社〉とある。…

※「二上山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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