金剛山地(葛城山系)北部にあり、太子町と奈良県
北部にある穴虫峠、南部にある
射水郡北西端にそびえる標高二七四メートルの山。その北裾は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
生駒山地と金剛山地の間の鞍部,奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子(たいし)町の境にある山。北の雄岳(515m)と南の雌岳(474m)の2峰よりなり,〈ふたかみやま〉とも読み,双子(ふたご)山とも呼ばれる。山体のサヌカイト(讃岐石)は旧石器時代から石器の原料に使われた。北西方に凝灰岩が露出して灰白色の断崖が続き,ツルがたむろしているように見える奇景,屯鶴峰(どんづるぼう)があり,凝灰岩は古墳の石棺,石室や各種の建築用材として用いられた。現在は山麓に産するザクロ石を原料とするサンドペーパーなどの製造業が立地する。山麓には大阪平野と奈良盆地を結ぶ古代以来の道が通り,交通上の要地であった。雄岳の頂上に葛木二上神社がある。奈良盆地西部の山の中でも,その山容と歴史からことに親しまれ,登山客が多い。
執筆者:高橋 誠一 二上山北側の穴虫峠と南側の竹内峠を越える道は,古来,大和と河内を結ぶ重要な道であった。前者が大坂道(近世には長尾街道),後者が当麻道(竹内(たけのうち)街道)である。古代においては,とりわけ大坂道が重視された。《日本書紀》崇神天皇9年3月条に,大坂神をまつった記事があり,天武8年(679)11月条には大坂山に関を設けたことなどが記され,大坂道の重要性を示す。二上山の東側に,当麻曼荼羅で有名な当麻寺があり,西側の磯長谷(しながだに)(大阪府南河内郡太子町)に,大王陵や終末期古墳の散在する事実は,二上山を冥界と境する山と見なす観念が存在していたことを示す。《万葉集》によれば,悲劇的な死をとげた大津皇子の屍を二上山に移葬し,大伯皇女(おおくのひめみこ)が〈うつそみの人にある我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む〉と歌ったとするのも,そうした観念と無関係ではあるまい。なお現在,二上山の雄岳の頂上に,大津皇子の墓があるとされるが,決定は1876年(明治9)に行われたもので,根拠も明確でない。
執筆者:和田 萃
岡山県のほぼ中央部にある山。標高689m。山頂からは遠く伯耆大山や瀬戸内海を眺望することができ,山頂は北峰の城山,南峰の弥山(みせん)の二つに分かれている。山頂近くに泰澄が開いたと伝えられる両山寺(りようざんじ)がある。二上山の信仰で特徴的なのは,護法善神をまつる護法社の存在と,両山寺で8月14日に執行される護法祭である。護法は仏法の守護神であるが,修験道では修験者のよく使う使役神でもある。護法祭では,護法実(ごほうざね)と呼ばれる者の神がかりを中心としているが,護法実は1週間前より精進潔斎をし,祭りの当日には多数の山伏が集まって護法神の霊をつけ,境内をかけめぐる。この儀礼は,修験道のシャマニズム的性格を端的に表した行事といえる。
執筆者:宮本 袈裟雄
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奈良県葛城(かつらぎ)市と大阪府南河内(みなみかわち)郡太子(たいし)町の境界にある鐘状火山。金剛(こんごう)山地北部に位置し、北の雄(お)岳(517メートル)と南の雌(め)岳(474メートル)からなり、山名の由来となる。新第三紀の中新世から鮮新世にかけ活動した瀬戸内火山系に属する二上火山群の主峰で、讃岐(さぬき)岩(サヌカイト)、安山岩などからなり、付近一帯から瀬戸内火山系のほとんどの火山岩類を産出する。雄岳頂上には葛木二上神社(かつらぎにじょうじんじゃ)が鎮座し、謀反の疑いを受け自決した天武(てんむ)天皇第三皇子大津皇子(おおつのみこ)の墓がある。北西には白色の凝灰岩からなる奇勝屯鶴(どんづる)峯があり、山麓(さんろく)を穴虫(あなむし)越、竹内越など奈良盆地と大阪平野を結ぶ古代の交通路が通じる。「ふたかみやま」として『万葉集』などに詠まれ、とくに大津皇子の死を悼んだ姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む」が知られる。
[菊地一郎]
富山県北西部、高岡市と氷見市(ひみし)の境にある第三紀層の山地。西は海老坂(えびさか)峠で西山に境する。二上山(274メートル)を主峰とし、城山(258メートル)とその北東の大師(だいし)ヶ岳(253メートル)を遠望すると二つのこぶ山にみえる。山地の北東部は急崖(きゅうがい)となって富山湾に臨み、雨晴(あまはらし)海岸がある。越中守(えっちゅうのかみ)大伴家持(おおとものやかもち)がこの山を詠んだ歌があり、一帯には家持の像、仏舎利塔、万葉植物園などがある。能登(のと)半島国定公園の一部で、ドライブウェー二上山万葉ラインが通じる。
[深井三郎]
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…奈良盆地西部の山の中でも,その山容と歴史からことに親しまれ,登山客が多い。【高橋 誠一】 二上山北側の穴虫峠と南側の竹内峠を越える道は,古来,大和と河内を結ぶ重要な道であった。前者が大坂道(近世には長尾街道),後者が当麻道(竹内(たけのうち)街道)である。…
…富山県高岡市古城公園に鎮座。もと北方の二上山の麓にあったが,1875年現在地に遷座した。二上山は双峰の霊山で,二神の山と仰がれ,神社も二上(ふたがみ)神社あるいは二上権現と呼ばれたが,《延喜式》には〈射水神社〉とある。…
※「二上山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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