上押辺村(読み)かみおしのべむら

日本歴史地名大系 「上押辺村」の解説

上押辺村
かみおしのべむら

[現在地名]岩間町押辺(おしのべ)

涸沼(ひぬま)川と桜川の合流点にあり、東は下押辺村、西は土師(はじ)村。村の中央を東西に奥谷(おくのや)街道が通る。鎌倉初期から文禄元年(一五九二)まで宍戸氏の領有と伝え、その後慶長七年(一六〇二)までは佐竹氏、正保二年(一六四五)までは宍戸藩秋田氏の支配地であった。八竜神一件ニ付古書抜書(小沼家文書)によれば、同年押辺村は上下の二村に分村し、上押辺村の戸数は一二で村高三七九・二九六二石となる。正保二年から万治二年(一六五九)は天領、以後天和三年(一六八三)までは旗本本多土佐守領、元禄一一年(一六九八)までは天領で、同年から当村の一七五石余は旗本中根氏の知行所となる。残りの二〇四石余の天領は正徳二年(一七一二)に土浦藩土屋氏領となり、明治維新を迎える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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