上末吉村(読み)かみすえよしむら

日本歴史地名大系 「上末吉村」の解説

上末吉村
かみすえよしむら

[現在地名]鶴見区上末吉一―五丁目・梶山かじやま一―二丁目・三ッ池公園みついけこうえん

東北を鶴見川が南流し、西は駒岡こまおか村、南は北寺尾きたてらお村・馬場ばば村・下末吉村に接する。建武元年(一三三四)五月一二日の裏書のある鶴見寺尾地図(金沢文庫蔵)に「末吉領主三嶋□」がみえる。小田原衆所領役帳に間宮豊前守「卅五貫文 小机末吉」とある。

近世は初め幕府直轄領、享保三年(一七一八)大部分が江戸芝増上寺領となり二給。田園簿では「末吉村」として菅野役塩八〇俵を納めた。元禄(一六八八―一七〇四)以前に上下に分村した。元禄一五年の田三一町一反余、畑屋敷五二町六反余(「田畑其外反別取調野帳」横浜市図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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