20世紀日本人名事典 「上杉文秀」の解説 上杉 文秀ウエスギ ブンシュウ 明治〜昭和期の仏教学者 大谷大学学長。 生年慶応3年2月1日(1867年) 没年昭和11(1936)年2月10日 出生地三河国佐々木(愛知県) 旧姓(旧名)小島 別名幼名=乙弥,号=冷華 学歴〔年〕真宗大学寮(現・大谷大学)卒 経歴三河上宮家の家老・小島放牛の二男に生まれる。明治20年上京し楠潜竜に師事、21年石川聖徳寺の上杉慧義の養嗣子となる。のち京都尋常中学で清沢満之に学ぶ。真宗京都中学で教鞭を執り、34年真宗大学教授。大正13年大谷派講師となり、昭和6年大谷大学学長に就任。この間、中国・日本の天台史研究のため比叡山で台密三昧流の伝法灌頂を受け、また中国仏教を視察した。著書に「日本天台史」「往生礼賛讃講要」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉文秀」の解説 上杉文秀 うえすぎ-ぶんしゅう 1867-1936 明治-昭和時代前期の仏教学者。慶応3年2月1日生まれ。楠潜竜(くすのき-せんりゅう)に師事,のち京都尋常中学で清沢満之(まんし)にまなぶ。明治34年真宗大教授。昭和6年大谷大学長。中国,日本の天台史を研究。昭和11年2月10日死去。70歳。三河(愛知県)出身。真宗大学寮(現大谷大)卒。本姓は小島。著作に「日本天台史」「往生礼讃講要」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by