朝日日本歴史人物事典 「上杉朝宗」の解説
上杉朝宗
生年:暦応2/延元4?(1339)
南北朝・室町時代の武将。関東管領。中務少輔。関東上杉氏の祖に当たる憲顕の弟憲藤の子。父憲藤が暦応1/延元3(1338)年に戦死したのちは,兄の朝房と共に家臣に保護されて成長した。やがて上総守護となり,従兄弟の憲方と共に鎌倉公方足利氏満を補佐,康暦2/天授6(1380)年の小山義政の乱の際には憲方と共に大将として出陣している。応永2(1395)年,関東管領に任命されて,武蔵守護を兼ねた。同5年に鎌倉公方となった足利満兼は朝宗に養育されたこともあって朝宗を重用した。同12年に管領を辞し,16年に満兼が死去すると上総長柄山胎蔵寺に隠退,21年に死去した。享年76歳というが,そうすると父憲藤戦死後の出生ということになる。しかしこの享年には確証がない。鎌倉犬懸に住んだらしく,朝宗の流れを犬懸上杉氏と呼ぶが,犬懸家の勢力は朝宗一代で作られたものといえる。
(山田邦明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報