上東弁分村(読み)かみひがしべんぶんむら

日本歴史地名大系 「上東弁分村」の解説

上東弁分村
かみひがしべんぶんむら

[現在地名]日南市東弁分甲ひがしべんぶんこう上松永かみまつなが

松永村南東広渡ひろと川の左岸に位置し、南東は下東弁分村。かつては松永村・下東弁分村と一村で、東弁分村と称していたが、のちに分立した。単に上東村ともいった(天保郷帳など)飫肥藩六代藩主伊東祐永の時代の村絵図南文庫)によると、松永村の北西に接する広渡川沿いの川津留かわづる(川鶴)は当村の飛地であった。一方、地内土楽ヵ平どらくヵびらの西麓にある祥雲寺とその周辺は下東弁分村の飛地となっていた。また松永村境、広渡川東の泥引地は初め下東弁分村の飛地であったが、元禄八年(一六九五)から当村分となった(前掲村絵図)。西方殿所とのところ村から下東弁分村境で広渡川を渡って当村に入る鵜戸うど街道は、地内で松永村から南下する道を合せる。この広渡川の渡しは東渡とよんだが、前掲村絵図では内之田うちのた川渡とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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