日本歴史地名大系 「松永村」の解説
松永村
まつながむら
当村および上東弁分村・下東弁分村の三村は古くは一村で東弁分村と称していた。寛永一三年(一六三六)飫肥藩三代藩主伊東祐久が家督を相続した際、弟祐豊(すでに二千俵取の旗本であった)に
松永村
まつながむら
随幻覚書に「塩浜者、金山同前の事故、松永住人諸方より入込居申候」とあるが、塩田開発を契機に、松永には塩田のため、各地から人が集まり急速に町も形成されたと思われる。
松永村
まつながむら
松永村
まつながむら
松永村
まつながむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報