日本歴史地名大系 「上沼村」の解説 上沼村うわぬまむら 宮城県:登米郡中田町上沼村[現在地名]中田町上沼北上川右岸にあり、南は弥勒寺(みろくじ)村・桜場(さくらば)村、西は中田沼と石森(いしのもり)村、北西は磐井(いわい)郡西永井(にしながい)村(現岩手県西磐井郡花泉町)、北東は大泉(おおいずみ)村に接する。村名の由来は、城主千葉豊後守と伝える上沼館に小沼の跡があったためという(安永風土記)。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)に「かさい中」として「うハぬまの内 もつは」とある。 上沼村かみぬまむら 栃木県:大田原市上沼村[現在地名]大田原市花園(はなぞの)那須扇状地の扇端部に位置し、湧泉地が各所にある。西を百村(もむら)川が南流し、東は三色手(みいろで)村。天正一八年(一五九〇)の那須藤王丸資景知行目録(那須文書)に「上のま」とみえ、八木沢(やぎさわ)・若目田(わかめた)などとともで五〇〇石七斗二升。初め那須藩領。慶安郷帳では八木沢村の内に含まれたとみられ、幕府領。天和二年(一六八二)より旗本久留島領。なお前掲知行目録には「下のま」がみえ、滝野沢(たきのさわ)とともで二一九石八斗一升。慶安郷帳では下沼(しもぬま)村とあり、田二一石余・畑一一石余、旗本那須領。元禄郷帳以下にはみえず、あるいは当村に含まれたものか。天保年間(一八三〇―四四)の家数一四(改革組合村)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報