上津野村(読み)かみつのむら

日本歴史地名大系 「上津野村」の解説

上津野村
かみつのむら

[現在地名]添田町津野

彦山村(明治初年成立)の北に位置し、東は焼尾やけお峠か関貫かんのき(現桑ノ木峠)を経て仲津なかつ帆柱ほばしら(現犀川町)に至る。彦山豊前坊獅子の口ししのくち水源とするいま川は村の中央部を曲流して北に流れる。中世下津野村とともに津野村と称された。貞和六年(一三五〇)一〇月日の宝珠山種永申状(宝珠山文書/南北朝遺文(九州編)三)によると、種永は「津野村」の川より東の地頭職などの安堵を訴え、同年一〇月二八日足利直冬から安堵されている(同申状案裏書)。現在の和歌山県高野山の町石ちよういし道の二一町の町石横に所在する応永二一年(一四一四)三月二一日の年紀をもつ宝篋印塔の銘(紀伊国金石文集成)に「豊前国津野村」とみえ、二〇名の名前が彫られており、当時高野山信仰が流入していたことをうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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