日本歴史地名大系 「津野村」の解説 津野村つのむら 長野県:長野市津野村[現在地名]長野市長沼(ながぬま) 津野千曲川の左岸にあり、東は千曲川を挟み高井郡相之島(あいのしま)村(現須坂(すざか)市相之島)・同大島(おおじま)村(現上高井郡小布施(おぶせ)町)と相接し、西は長沼大(ながぬまおお)町(上(かん)町・栗田(くりた)町)と堤防で境し、北は千曲川と赤沼(あかぬま)村で、南は長沼穂保(ながぬまほやす)町(六地蔵(ろくじぞう)町・内(うち)町)と耕地で境している。嘉禄元年(一二二五)島津忠義にあてた将軍家下文案(島津家文書)に、<資料は省略されています>とあるように、太田(おおた)庄に属し、島津忠久の子忠義(忠時)が津野郷地頭代職に補任された。同三年十月忠久の譲を得て地頭職となる(「将軍家下文」島津家文書)。 津野村つのむら 鳥取県:八頭郡佐治村津野村[現在地名]佐治村津野佐治川の中流部北岸から北に延びる谷を一・六キロほど入った山腹に集落があり、この谷は津無(つなし)村・葛谷(かずらたに)村へ通じる(因幡志)。南は高山(たかやま)村。当村の北西には神ヶ滝(亀ヶ滝)がある。付近の岩窟の壁面には不動像が彫刻され、五輪塔四基があった(同書)。中世には佐治郷北方に属し、貞和五年(一三四九)六月日の尾張重俊寄進状(因幡民談記)によると「佐治郷北方高山村内光国名田壱段在所角村号西田地頭職」が群佐羅(ぐんざら)大明神に寄進されており、当時は高山村のうちで角(つの)村と称されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by