日本歴史地名大系 「上熊野城跡」の解説 上熊野城跡かみくまのじようあと 富山県:富山市旧上新川郡地区上熊野村上熊野城跡[現在地名]富山市上熊野県道東猪谷(ひがしいのたに)―富山線の西側に所在する神明社・浄蓮(じようれん)寺付近にあった平城。熊野城ともいう。「三州志」によると、斯波氏の将二宮左衛門大夫入道三宅の居城で、天正年中(一五七三―九二)二宮氏は飛騨の三木休庵に属し、越後上杉方の樫(かし)ノ木(き)城(現大山町)城主村田修理と争ったという。天正二年二宮左衛門大夫(長恒)は上杉謙信に陳謝して一字を免許され(三月一二日「上杉謙信一字書出」越佐史料所収渡辺秀二所蔵文書)、同年九月二六日に本知行・新地を安堵されている(「上杉謙信安堵状」同書所収狩野亨吉所蔵文書)。謙信の死後、織田方の武将神保長住が越中へ入り、同六年五月一七日に二宮左衛門大夫の知行地を安堵した(「神保長住安堵状」志賀槙太郎所蔵文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by